第一話:VS江ノ島(初戦)


  江ノ島盾子は絶望していた。目の前に広がる絶望的に平穏で絶望的に生暖かくて、それ故に絶望的に退屈な世界に覚える既視感は恐らく勘違いなんかではない。
 コロシアイ学園生活で肉体を失い、そしてコロシアイ修学旅行という名のプログラム世界に閉じ込められ、今度こそゲームオーバーさよならバイバイ私の崇高な人類江ノ島化計画!と溜め息をついていたはずが、瞬きひとつの間に世界が変わってしまっていた。

「………」
「あれ、江ノ島ちゃんどしたのー? 狐につままれたみたいな顔して!」

 思考回路がうまく機能しない循子の正面で、見覚えのある少女がぶんぶんと右手を振る。個性的な形をしたポニーテールと、童顔に似合わぬナイスなエロボディは、同じクラスの朝日奈葵に違いない。
 何かが、圧倒的におかしい。
 いや、コロシアイ学園生活を経て、その生き残りである朝日奈が、自分にこんなふうに好意的な態度を取ること自体おかしいに違いないのだが、問題はそれ以外にも点在しているように思えた。
例えば、朝日奈の姿越しに見える、複数人の緩みきった日常的な表情とか、そういうもののことだ。
「た、体育の時に着る体操着を忘れちゃったよう……どうしよう、別のクラスの人に借りてくるしかないのかなあ……でも僕、他のクラスにお友達、いないよう」
「おいコラ、泣くんじゃねえ不二咲! 男だろうが! 俺のジャージの上と下の長いやつ貸してやるから、べそべそすんな!」
「むっはー! 大和田紋土殿にぴったりのジャージを着るということは、ちーたんは勿論、サイズの合わない大きな服を萌え萌えに着こなしてくれる、というわけですな! ハアハア!」
「ややや山田くん! 君のその発言は風紀を著しく乱しているぞ! 口を慎むんだ!」
「全く、男の不二咲に何興奮してんだよお前ら……俺には理解出来ない思考だぜ。なっ、舞園ちゃん!」
「うふふ、不二崎くんは可愛らしいですから、そう思ってしまう気持ちも分かります。同じく可愛らしい苗木クンと並んでいる光景なんて、地上波で放送されてしまえばどれだけの国民がその魅力にメロメロになってしまうことか……」
「ま、舞園ちゃん!?」
「………」

 あれ?あれあれあれあれ?
 どこかの白髪の先輩みたいに、盾子の脳内は疑問符で溢れた。勿論、それを表情に出すような真似はしなかったが。
 盾子は、とある仮定をひとつ立て、その考えが正しいのかどうかを確認するべく、ぐるりと椅子に座ったまま、後ろを振り返った。

「じゅ、循子ちゃん、どうしたの」

 無表情のまま結構な勢いで自分に視線を向けてきた盾子が見たものは、驚くような、または引くような目で、自分とは似ても似つかない残念な顔面を貼り付けている、実の姉、戦刃むくろに違いなかった。

「むくろちゃん、なんで生きてるの?」
「ええっ……!?」

 むくろの背後にガーン!という漫画文字が見える。そんな姉のことを無視し、盾子は再び正面へと視線を移した。
 なんで生きてるの。
 むくろだけではない。あのコロシアイ学園生活で命を奪われたり奪ったりそして奪われたりした、この世にいるはずもないかつての級友たちが、何の違和感も覚えていないような顔で談笑を繰り広げていた。窓から差し込む朝の光は、これから始まる一日にエールを送るような輝きで教室を暖める。覚えのある光景は、どこからどう見ても希望ヶ峰学園の、自分が在籍していたクラスだった。
 同じ学園でも、窓に頑丈な鉄の板を貼り付け、外の世界を完全に遮断していたあの景色とはまるで違う。もっと、それ以前の記憶だった。
 もしかして、戻ってきたのか。
 ストーリーの最終章にたどり着くことも出来ずに死んでしまったキャラクターはともかく、自分を黒幕だと知る朝日奈達でさえも何ともないような間抜け面で笑顔を向けて来る事実から、ここでの盾子は「超高校級の絶望」ではなく、「超高校級のギャル」で認識されているらしい。

 マジか!!

 絶望を希望しなくて済むとか思っていた矢先にこの仕打ち。もしもこの世に神がいて奴がこのクレイジーな事態を引き起こしているのだとしたら絶望的に性悪なのかもしくは気付いていないだけで自分こそが神なのかもしれぬと盾子は内心高笑いでもしそうな気分だった。
 ラスボスに負けてリセットからのセーブポイントへ帰還なんて自分の美学に反するけれど戻ってしまったものは仕方がない。またあの根回ししまくりの面倒な作業が待っているのかと思うと絶望的な気持ちになる。思わずよだれびゅるびゅる垂れ流しながらイキそうなレベルの絶望だ。最高にエクストリーム。
 せっかくなので今度こそ人類江ノ島化計画を成功させて理想の絶望を育んでいきましょう。何せこちらの頭の中にはこれから先の未来がまるまる掲載されている完璧な攻略本があるのだから。とにもかくにもひとまず先輩たちを絶望の虜にしたりなんなりでこの時期の自分はそれなりに忙しい。もたもたしている暇はないぞ、と盾子が心の中で鼻息を荒くした。

「そういえば、苗木くん、遅刻ですかね」
「あれ、本当だ。珍しいね」
「なんだと!? この石丸清多夏の目が黒い内は、そのような行為は許さないぞ!」

 苗木。クラスメイトが思い出したように口にしたその名前を、盾子は脳内で反芻する。
 苗木誠、自分の絶望を打ち砕いてくれやがった永遠のライバル。あの男がいなければ、コロシアイ学園生活の時点で敗北するような展開は訪れなかったはずなのだ。
 超高校級の希望だなんてふざけた肩書きを、今度こそあいつに与えてやってたまるかと、盾子は唇の端を持ち上げるようにして、歪んだ笑を浮かべた。
 その時だ。

「あっ、苗木だ」
「遅いぞ苗木くん! もう少しで遅、刻……」

 教室のドアが開く音がして、数人の生徒が声をあげたのだが、その言葉が、途中で不自然に途切れる。
 なんだ?と思い、盾子も扉の方へと視線を向けた。

「………」

 盾子は、無表情のまま頭上に疑問符を浮かべた。

「江ノ島盾子……」

 そこには、身の丈ほどの刀を装備し、こちらを見据えて循子の名を呼ぶ「超高校級の幸運」、後の「超高校級の希望」、苗木誠の姿があった。

「……お前は生きてちゃいけないんだ!」

 そう言うや否や、苗木は何かを振り払うかのような表情で、盾子に向かって刀で斬りかかってきた。
 何が起きてる。

「うおっとぉ!?」

 突然の攻撃に、盾子は咄嗟に自分の座っていた椅子から飛び上がり、後ろの席の机を蹴り飛ばした。元々戦闘能力なんて皆無に近い苗木は、盾子の蹴った机に足を取られ盛大に転んだ。その拍子に手から滑って飛んでいった抜き身の刀が、近くにいた葉隠のすぐ真横の床に突き刺さる。自慢のドレッドヘアーが少し切り落とされた。

「日本刀の先制攻撃だべーーー!!」

 どこかで聞いた台詞である。

「まだまだ!」

 次に苗木がポケットから取り出したものは、卵のような形をした手榴弾だった。
 マジかよ、と人ごとのように苗木を見つめながらも、盾子の脳みそはひとつの事実に辿り着く。
 何やら過去と呼べる場所へ舞い戻ってきている自分と、そんな自分を消そうと一心不乱に攻撃を仕掛けてくる苗木誠。

「ブルータス、お前もか!」

 ぎゃは!と舌を出して笑うのと、苗木が栓を抜いた手榴弾を循子に向かって投げ捨てたのは、ほとんど同時だった。
 黒煙が、教室を包み込んだ。









「どういうことぉ、むくろちゃーん」

 学生寮の一室で、盾子は椅子に腰掛けながら、テーブルを挟んで向かい側に座るむくろに尋問していた。

「苗木の持ってた武器の数々、あれ、むくろちゃんの私物だよねぇ?」
「うん……」

 むくろはバツが悪そうな表情で、目線を軽くしたの方に向けている。
 そして、言いにくそうに言葉を続けた。

「今朝、苗木君に頼まれて、それで、本当は銃が良かったみたいなんだけど、素人が使うのは危ないから、刀と手榴弾を貸してあげたの……」
「刀と手榴弾も十分あぶなーい! むくろちゃんってば思考回路が残念なのー?」

 盾子の煽るような言葉にも、むくろはただ「ごめんね」と謝るだけだったが、恐らく自分が何に対して謝っているのかもよく理解していないだろう。盾子が怒っているから、とりあえず謝罪しているのだ。

「ていうか、なんで貸したの? 苗木が武器必要な理由とか聞いた?」
「えっと、理由は聞いたんだけど、すごく悲しそうな顔で教えられないって謝ってくれたから、それ以上何も聞けなくて……。武器を貸したのは、その……華奢で小動物みたいな可愛い苗木くんに……無愛想な武器って似合うかも、って思って」
「何その理由絶望的ィ!」

 盾子の上半身がのけぞり、そのまま頭が床にぶつかった。ゴツンという物騒な音が響き、むくろがあわあわと汗をかく。
 いたいけな少年に武器を持たせて萌〜とか、これは確実にあのクラスの一部の人間の影響だろうなと循子は思った。主にあのデブとかデブとかデブとか。
 しかし盾子は、上半身を反らして地面に頭を預けた体制のまま腕組みをして、何やら考え事を始める。

「まあいいわ。このまま何事もなく計画が進んでもつまらないし。やっぱ立ちはだかる壁があってこそ絶望はより一層輝くってもんよね」
「………?」

 むくろがきょとんとした表情を浮かべている。盾子とむくろの姉妹は共に絶望を愛するものであり、将来的にこの世界を絶望で染めるための計画を共同で進めているけれども、盾子がむくろに公表していない作戦は山の数ほどあるのだ。実の姉であるむくろでさえも、盾子にとっては絶望の世界のための駒でしかない。それに、姉であるむくろを志半ばで失うなんて素敵に絶望的なストーリーだ。だから盾子は、むくろが自分の作戦を理解していないことなど本当にどうでもいい。今回、自分にこれから先の未来の記憶があることだって、むくろに教えてやる気などこれっぽっちもなかった。勿論、苗木がどうして武器まで借りて自分を消そうとしていたのか、その理由もだ。

「ところで、あのあと苗木君はどうしたの……?」
「え? ああ、苗木なら私に歯向かったお仕置きとして縛ってズボン脱がして太ももに『僕は肉便器です、ご自由に使ってください』って油性マジックで書いてから公園の便所に捨ててきたわよ」
「苗木君!!」

 むくろが蒼白になりながら部屋を飛び出していった。盾子はその表情に「いい絶望だ!」とコールを送ってから、先程教室でぶちのめした苗木のことを思い出し、うぷぷと笑みをこぼした。

「さてさて、雑魚キャラの苗木君が、強くてニューゲーム状態のこの世界で、どう私に歯向かってくるのか、乞うご期待ってやつね! まあ、そう簡単にはやられるはずないし最後に勝つのは私だし、あーっはっはー!」

 盾子は顔に手を当てて、ゲームのラスボスみたいな格好で笑った。
 さあ、楽しい絶望の時間だ。

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