幸せ家族計画





 ピンポン、と玄関先のチャイムを鳴らす。しばらくドアの前で黙って待っていたのだが、反応がない。
 仕方がないのでもう一度鳴らしてみるが、やはりいつまでたっても目の前の扉が開くことはなかった。
 留守なのか、と考えて、いやそんなはずはないと思い直す。日曜の、なおかつ早朝とも言えるこの時間に、奴ほどの低血圧人間が外出をしているとは考えにくい。むしろそのことを計算に入れたうえで朝っぱらからしたくもない早起きをしてここまでやって来たのだ。いてもらわなくてはこちらが困る。
 ああ畜生、眠たい。早く自分の部屋に帰って二度寝したい。そんな願望にせき立てられるように、ピンポンピンポンピンポンと指はいつの間にかインターホンを連打していた。
 どれだけ早くチャイムを鳴らせるかという本来の目的から少しズレた遊びに夢中になっていると、ドアの向こうの部屋からドタバタと足音が近付いてくるのがわかった。その音が最大に達したかと思えば、それ以上のけたたましさと共に俺の目の前で盛大に扉が開いた。当然、油断していた俺は勢いよくこちらへ向かってきたその扉を顔面で受け止める羽目に。

「ぐあっ、痛ぇんだよこのクソ野郎! いきなり開けてんじゃねえ!」
「黙りやがれこの馬鹿河童が! チャイムなんて一回押せば聞こえるんだよ。それをテメェは朝っぱらから何回も何回も……人の安眠を妨害するな!」
「オイ、聞こえてたんならなんでさっさと出ないんだよ!」
「居留守してたからに決まってんだろうが。少しは気を使いやがれ」
「て、テメェ……」

 しれっとした表情で自分勝手なことを言ってのける三蔵は心底うんざりしたような溜め息をひとつ吐き出し、ポケットから取り出したマルボロに火をつける。

「それで要件は何だ。さっさと言ってさっさと帰りやがれ。俺は休日くらいお前の馬鹿面を拝まずにのんびりと惰眠を貪りたいんだよ」
「俺だって好きで来てるわけじゃねぇよ。大家の命令なんだから仕方ないだろ」
「大家だと?」
「お前、生き物とか拾ってきて飼ってないか?」

 一瞬、三蔵の眉間がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。ああ間違いねぇなと確信した後、今度は俺の方が見せつけるようにして溜め息をついてやった。

「三蔵さんよー、ここのアパートってペット飼うのNGなの知ってんだろ?」
「……生き物なんか知らん。妙な言いがかりつけてねぇでさっさと消えろ」
「お前な、言っとくけど大家に文句つけられるの俺なんだぞ」

 いつどんな状況であったかは忘れたが、三蔵の実家は由緒正しい寺院だという話を聞いたことがあった。
 何の理由や経緯があって三蔵がこんな普通のアパートに一人暮らしをしているのかは知らなかったが(俺や三蔵、そして今この場にはいないもう一人の顔馴染みは、他人に無駄な詮索をすることもされることも嫌っていたのだ)俺はこいつと知り合って一年近く時間が経過した今でも、その事実をイマイチ信じきれない。
 だって寺育ちってことは、三蔵がもし大人しく家業を継ぐようなことがあったとしたら、こいつ坊さんだぜ? 有り得ない。
 俺も人のこと言えるような身なりをしてるわけじゃないけれど、三蔵のガラの悪さはそのあまりにも無愛想な性格も災いして、初対面の人間でなくても正直お近づきにはなりたくないと思ってしまう。
 口を開けば「死ね」「殺すぞ」
 大家がビビって文句の一つも言えない現状にも頷けるってものだ。
 別に三蔵の対人関係が破滅的に悪いことに対し、俺はどうにかしようとお節介を焼くつもりは全くない。好きなようにのびのびと生きていただきたい。
 が、それとこれとは話が別だ。

「ハイハイ、それじゃあお邪魔しますよーっと」
「っ、貴様! 勝手に人の家にズカズカ上がってんじゃねぇ! 出ていけ!」
「じゃかーしいわ! お前の人相が悪すぎるせいでビビった大家に俺が家捜し依頼されるような羽目になるんだよ! 大人しく匿っているペットを出せ! 第一動物飼うなんてお前のキャラじゃねえだろーが!」

 俺は、三蔵同様ガラは悪いが愛想は悪くない。そのため、このアパート内で三蔵関係の面倒な仕事は大抵俺に回ってきてしまうのが今の現状だ。三蔵が地域指定のゴミ袋を使っていないからって「注意してくれ」と頼まれたのは一週間前の話だった。
 アパートの住人の中でも三蔵を恐れない人種は俺の知る限り、俺を含め二人だけだった。大学の課題が忙しそうなもう一人は、それら三蔵的な依頼を何だかうまくかわしているので、面倒な仕事は全て俺任せ。悲劇だ。
 だが今回は少し気合いが違った。
 一人暮らしのはずの三蔵の部屋から、明らかに三蔵以外の声が聞こえてくる。それもなんかこう、動物的な感じの。しかもバタバタと床や壁を叩くような騒がしい騒音と共に。住人からの苦情もそれなりに募り、大家は俺に何とかしてくれと頼んできたのだ。ちょっとしたご褒美つきで。

「こっちはこの件が上手くいったら二ヶ月滞納した家賃が無かったことになるんだ! 犬でも猫でもさっさと引き渡して貰うぞ!」
「! その部屋に入るんじゃねえっ!」

 三蔵の制止の声もスルーして、リビングのドアを無駄に思い切り開く。俺は自分の言葉通り、野良犬や野良猫らしき動物の存在を探そうとした。
 が、

「え……?」

 想定外の光景に思考が停止する。
 だって俺が考えてたのは犬猫、まあ大穴でイグアナとか? とりあえずそういう「ペット」で一括りに出来る感じの生き物だった。

「あんた誰?」

 ふいに自分の腰くらいの低い位置から、高い声が聞こえた。その声に導かれて視線を下ろすと、くりくりした丸い金色の瞳がこちらを見上げている。癖のある茶色の髪の毛は後ろだけが長くサラサラで、シャンプーのCM風に言えば、思わず触れてみたくなる髪質。

「三蔵のともだち?」

 喋る。そりゃそうだ。目の前に大きめなワイシャツ一枚をワンピースみたいにして着ているこの生き物は、どこからどう見ても人間の子供だった。何でワイシャツ一枚なのか少し気になるが、三蔵の趣味ですなんて答えられた日にはどんな反応したらいいのかわからないので、聞きたくない。
 俺はちょっとゾッとした。

 『幼児誘拐』

 不吉な四字熟語が俺の脳内でぐるぐる回る。これはもうペットを隠れて飼ってるとかそういうレベルの問題じゃない。下手をすれば犯罪だ。そして俺は犯罪者の友人代表だ。
 いやでも待て。よく考えてみれば親戚の子とか、そういう可能性だってある。むしろそっちの考えの方が自然だ。いくら三蔵でもしていいことと駄目なことの区別くらいつくはず――

「三日前に道で拾った」

 いっそ開き直ったかのような声音で発せられた言葉が、背後から聞こえた。

「俺が飼う」
 

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