大学帰りの八戒から「もうすぐそっちに着くんですけど、三蔵と悟空を誘って夕飯でも食べに行きませんか?」なんてメールが届いた。丁度バイトが休みだった俺は、すぐに了解の旨を綴った返信をする。程なくして、俺の部屋の外に人の気配を感じるのと同時にインターホンの音が鳴り響いた。俺はその辺に放り出していた上着を適当に羽織って、玄関に向かって足を進める。ドアを開くと、そこには予想通り八戒の姿があった。

「どうも。今日バイトが休みだって聞いていたんで」
「おう、休み休み。三蔵にはもう連絡してあんのか?」
「一応先ほどメールを送っておいたんですが、返信がないんですよね」

 八戒は自分の携帯をカチカチといじった。新着の確認をしている様子だったが、結局ため息ひとつ吐き出したかと思うとパチリと折りたたみ式のそれを閉じてしまう。

「ま、とりあえず部屋まで行ってみますか」
「そうだな」



 俺や八戒、そして三蔵の住むこのアパートは、三階建ての鉄骨で作られているそれなりに新しく綺麗な物件だった。外観なんかはタイル張りになっており、俺からしてみればどうでもいいことだとしても、若い女の子辺りが住むとすれば見た目も申し分ない素敵っぷりだ。さらには駅から徒歩5分の距離に位置しているという好条件。
だというのに、家賃はちょっとびっくりしてしまうくらい法外に安い。まあその法外に安い家賃さえも満足に払うことが出来ずに滞納している俺が偉そうに言えたことではないのだが、とにかく安い。いっそ契約の際に思わず過去に何かがあったのではないかと勘繰ってしまうほどに。何も知らない人間ならば不審に思い、事情を知っている人間、尚且つ普通の精神をしている奴なら、いくら貧乏でもこのアパートにだけは住もうとは考えないだろう。

『呪いのアパート』

 築5年程度のこのアパートは、建築当初から不穏な噂が耐えないことで有名だった。いわゆる事故物件というもので、ひとつの部屋ならまだしも多数の部屋で殺人事件や自殺、そして数え切れない程の事故が何度も繰り返される内に、ヘビーな事実とは対照的に「呪いのアパート」なんていう単純すぎる別名で近所の住民の間では静かに恐れられていた。建築途中も何人かの作業員が怪我をしたとかしていないとか、そんな噂も一緒に流れている内に入居を希望する人間は当然のことながら激減した。初めのうちは「スクープ!心霊アパートの謎を解き明かす!」なんて都市伝説関係の番組を制作するためにレポーターがこぞって取材に訪れていたけれど、調査が2ヶ月続いても何一つ結果が出なかったことにより、その手の人間も今では一切現れなくなった。響かぬ鐘には用がないってことだ。
 まあ、ぱっと見で外観は普通よりちょっと小奇麗なアパートだし、日当たりも良好。そういう心霊系の噂に対する耐性が尋常じゃない人間ならば、格安の家賃で住むには持ってこいの物件だろう。現に俺や三蔵や八戒は平然と日々の生活を送っているわけだし、空き部屋と4対6くらいの割合で部屋も埋まっていた。近所付き合いが多いわけではないので詳しいことは分からないが、恐らく俺たち以外の住人もそれなりにメンタルに自信がある人間達ばかりなのだろうということが予想出来る。まあ別にどうでもいいことなんだけど。


 三蔵の部屋の前に着く。八戒が一度だけチャイムを押すと、程なくして目の前の扉が開いた。俺の時とは打って変わってのスムーズなオープンっぷりに少しだけ釈然としない気持ちにならないこともないが、まあ慣れているので深くは考えないことにする。
 ジーンズとシャツ姿で現れた三蔵は俺たちの姿を見た瞬間、軽く眉間に皴を寄せた。これは他人と対峙した時の三蔵のクセのようなもので、そんな反応が普通になっている俺たちからしてみれば見慣れた光景だから特にツッコミはない。ただコイツは大して親しくもない人間にも常に同じような態度を取って無意識の内に周囲をビビらせているので、その辺はどうかと思うこともあったりなかったり。まあとにかく本人が全く気にしていないので、俺や八戒がお節介を焼いて助言をする必要は皆無ってことだけは確かだ。
 三蔵はいつもの気だるげな様子で口を開く。

「……お前らか」
「どうも。メール見てくれましたか?」

 八戒が聞くと、三蔵は「いや」と答える。そしてジーンズの尻ポケットから自分の携帯を取り出して、先ほど八戒が送ったメールをチェックした。
 三蔵がその内容を読み終えて、再び携帯をポケットの中にしまい込むのを見計らった八戒は、普段どおりの人好きの良い笑顔を浮かべながら聞いた。

「夕飯、どうですか。それとも何か用事でも?」
「いや、用事は今終わったところだ」
「それなら」
「ああ」

 三蔵が誘いに乗ったところで、八戒はふと何かに気が付いた。

「三蔵、悟空はいないんですか?」

 そういえばいつも煩いサルの姿が見当たらなかった。
 三蔵はあらかじめそれを聞かれることを予想していたかのような反応で、自分のタバコに火をつけながらこう言った。

「さっきまで客人が来てたんでな」

 客人。俺はふーんって感じで三蔵の話を聞いた。コイツんちに客なんか来るんだへえー。まあ口調からしか想像出来ないけど、どうにもダチとかそんな雰囲気ではなかった。多分仕事の関係だろう。
 三蔵は一度タバコの煙を吐き出した。八戒は無意識なんだろうけれど、その煙をふり払うように右手をブンと振った。俺はちょっとビクッとする。八戒に悪意はないとは分かっていてもこいつの行動はたまに怖い。
 至って普通の口調で八戒は質問を続けた。

「で、悟空は?」
「隣に預けてある」
「隣?」
「知人だ。害はない。多分」
「へえ……」

 俺は正直、三蔵が何気にご近所付き合いとやらをしっかりしていることに驚いた。俺の部屋の両隣は今も昔もずっと空き部屋だったし、ここに越して来た時だって菓子折り持って先住人にあいさつ回りなんてこれっぽっちもしなかった。いや別に三蔵がそんなことしているとか思ったわけではないけれど。
俺の表情を見て何を考えているのか勘付いたらしい三蔵は、一度舌打ちをしてから口を開いた。

「仕事の関係での知り合いだ。堅気の人間とは言いにくいがな」
「そんな人に悟空を預けて大丈夫なんですか」
「問題ない」

 驚いたような表情を見せた八戒に、三蔵は何故か少しだけ笑った。

「隣はでかいペットを飼ってるからな。いい遊び相手になれてるんじゃねえのか」






 三蔵の意味深な笑顔と言葉がやや気になりはしたものの、とりあえず俺たちは悟空を隣から引き取って、当初の予定通り飯を食いに行くことにした。男三人がぞろぞろと隣の部屋の前に立つ。三蔵がインターホンを押すと、電子音っぽい声がノイズ混じりに『どうぞー』と響いた。その声を聞いた三蔵が遠慮することなく扉を開き中へと進入していったので、俺たちは多少躊躇いながらもその後を追う。
 扉の向こうには当然のことながら俺たちの住むものと同じつくりの空間が広がっていた。広くも狭くもない玄関と、廊下とは呼べないような短い廊下の向こうにドアがひとつ。あいも変わらずズカズカと他人の住居に上がり込んでいった三蔵がそのドアに手をかけた瞬間、ドアが開かれるよりも先に聞こえてきた声に、俺たち三人の間に流れる空気は一瞬の内に凍りついた。




「あっ…あぁ……!久保ちゃんそんな……やめ、ろよっ……!」
「なーに言ってるの。今更やめられるわけないでしょ、時任」
「うぅっ……そんな、子供の…前でぇっ……!」




 そこから先は光の早さだ。

「子供の前で何してやがるんだー!!」

大声で叫びながら、いの一番に部屋に飛び込んだのは俺だった。こういう瞬間、俺は自分の損な性分を嫌というほど自覚する。

「クソッ悟空!!どこだサルー!」
「あ、悟浄だ」

 ハッと意識を取り戻した俺の目に飛び込んできたものは、ストローの刺さったオレンジジュースを啜りながら俺を見上げる悟空の平然とした顔だった。俺はあっ気に取られて口を半開きにしたまま立ち尽くす。

「三蔵と八戒もー」
「悟空……」

 俺の後ろで、俺同様あっ気に取られていた八戒と、全ての事実を知っていたかのような顔で飄々としている三蔵の存在に気が付いた悟空が嬉しそうにブンブンと手を振った。
 その時改めて俺は、あらぬ声を上げていた問題の二人を直に網膜に映し出すことによって、現在の状況を理解した。

「久保ちゃ……あああー!!」
「はい、時任の負け。これで俺の5勝3敗」
「ズリーよ!今絶対ハメただろ!」
「さあ、どうかな」
「うぐあああ……もう一戦!もう一戦だ!」
「はいはい」
「……オイ」

 ガキの教育上大変よろしくなさ気な声を発しながらゲーム機に向かう二人に、三蔵が声をかける。三蔵の呼び声に、事の中心人物である二人は「ん?」という顔で振り返った。二つの頭が、見下すような視線を投げつける三蔵を仰ぎ見ている。ゲームのコントローラーからは手を離さないまま、眼鏡をかけた方の男が少しだけ笑った。

「ああ、どうも。全然気付かなかったや」
「ふん、嘘をつけ。まあいい、サルが世話になったな」
「いえいえ」

 食えない表情を浮かべる眼鏡の男は、いまだにゲームの設定調整に夢中になっている端整な顔をした細身の青年の肩をちょんちょんとつついた。

「時任、お客さん」
「ああ?」

 細身の青年は若干ガラが悪いようで、あちらからしてみれば突然の来訪者と言えるだろう俺や八戒、あと多分三蔵も含めて、ジトリとした視線を向けてくる。眼鏡の男が「その子の保護者の人たちだよ」と言うと、やっと警戒心を解いたらしい。今度は俺と八戒のことをジロジロと観察するように眺めてから、悟空に向かって笑いながらこう言った。

「お前の周り変な奴ばっかりだな!」

 ガキのような無邪気さで失礼なことをズバズバと言ってくる男だ。

「てめえは相変わらず口の減らない奴だな」

 三蔵が舌打ちをしながら時任と呼ばれた男に吐き捨てる。時任は「うるせえタレ目!」と悪口なんだかよく分からない言葉を叫んだ。ここの二人は元々の性格自体が合わないのかもしれないが、とにかくあまり仲が良さそうには見えなかった。
 時任の代わりということか、久保田と呼ばれた方の男が三蔵に謝罪する。

「ごめんねぇ。うちの時任、正直者だから」
「ふん、自分のペットくらいちゃんと躾けておきやがれ」
「誰がペットだ!」
「あのー、」

 その時、痺れを切らした八戒が、いつものように底の見えない笑顔で会話に介入していった。

「お二人は三蔵の知り合いなんですよね」
「ん?まあ一応な。てかタレ目と最初っから知り合いだったのは久保ちゃん。俺はそんなに付き合い長くないよ」

 今の今まで憤慨しながら三蔵を睨み付けていた時任が、驚きの切り替えっぷりで八戒の言葉に食いついた。その言葉に八戒は「そうですか」と笑い、改めて背筋を伸ばして口を開く。

「僕は八戒。こちらのチンピラ風な男は悟浄といいます。悟空がお世話になっていたみたいで……」
「オイ、八戒さん」
「何ですかあ、悟浄。僕は善意で分かりやすく説明したというのに、その説明に何か文句でもあるっていうんですか?」
「……ないです」

 いつもこうだぜ。

「八戒と悟浄な」

 ふむふむと、時任は自分の記憶に刻み込むように、その名前を繰り返し唱えた。
それから、一度久保田の方に目配せしたかと思ったら、二人は浮かれた口調で言葉を紡いだのだった。「俺たちは、」時任の声は歌うようだった。

「ラブリー久保田と、」
「ビューティー時任!今後とも何かとよろしく!」


 関わりたくねえ。俺は直感で思った。


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